漫画感想2 「アイドルは偶像…ですか」

お題「わたしのアイドル」

 

良作はいつ読んでも素晴らしく、年を重ねて読むたびに感想が変化する作品はいつだって手元に置いていたい。

小説も漫画も同じである。

ということで、今日の漫画感想は「AKB49」

週刊少年マガジンで連載されていた大人気作品で全29巻の超大作。

次作の「レンカノ」も気になるけどまた次の機会に。

この漫画を誰かに紹介するとしたら、「スポ根アイドル」もの。アイドルの華やかなイメージとそれを築くまでの汗と涙と根性が描かれている。芸能界ものだとついドロドロした裏話みたいなもの含みそうですが、こちらは真っ直ぐで爽やか。モチーフがモチーフだけに登場人物女の子ばかりですが、恋愛要素は主軸にはならず、生き方や夢を追う姿を魅せてくれる少年漫画らしい少年漫画です。ひねくれて見るとご都合主義や夢見がちな展開かもしれないけれど、そこが何よりも良い。くさいセリフも涙も失敗も笑ってごまかす方がかっこ悪いと思わせてくれる。ストーリーも良いけど絵柄も非常に美しく、人物の表情からダンスの躍動感、セリフに頼らない表現力、あと小ネタを欠かさないサービス精神。褒める所しか見つからない漫画です。

特に好きなのはやっぱり最終話。

アフターストーリー的で山場といえる山場のない穏やかな話ではあるのですが、タイトルの名言が出てきます。

偶像とは、1.木や土などで作った像、2.信仰の対象となる像、3.あこがれや崇拝の対象の意味を持ち、この漫画でもいうアイドル=偶像は3の意味が強いのかと思います。辞書には続けて、「真のものではない別の姿ないし中間に介在するもの」ともありました(世界大百科事典 第2版)。これは主人公含むアイドルは「憧れられたりする存在だけど、同時にそのアイドルとしての存在は実在するその人間とは別のものである」ということを意味しているのかなと思います。なんかややこしいな。作中でも出てくる表現ですが、「アイドル浦川みのりは私の中にいる」とあり「いたんだよ。お客さんの中にも。みのりが」とあります。特に後者のセリフはお客さん達の行動を端的に評価した言葉になるのですが、「その行動をとること」を「アイドル浦川みのり」的と表現しているのだといえます。この物語では戸籍をもった生身の人間としては「浦川みのり」は存在しません。だからこそ余計に偶像らしさが強まるのですが、他のアイドルも同じことが言えるのではないかなと思います。生身の人間であることとアイドルであることは別に存在しうるということです。じゃあアイドルってどこに存在するかというと、皆さんの心の中に…ということになるのかなと。そのアイドルをいいと思うのも自分だし、そもそもそのアイドルを視界に、自分の世界に招き入れるのも自分ですし。何なら次元が違っててもアイドルですよ。2次元万歳。

 

 

ユトレヒトって都市あったよね

このブログの第一の目的は続けられない人間が続けられるようになることなので、日付変わる10分前の書き込みは滑り込みセーフとする。

コレカラノヒトは「これから」に注力していきたいので、今まで3日坊主だったからってこれからも3日坊主とは限らないと思うんです。

3日坊主を3日ごとに続けるのも手とも言えるし。

 

リアルでは提出書類と必要な書籍の購入は済んだのでおっけい。

 

漫画の感想 累

今実写映画も上映中の漫画「累」について。

14巻最終巻読み終えたので以下感想。ネタバレなしのふんわり風味。

 

 

「累」自体は5巻発売以降ずっと追ってたので完結は嬉しい反面寂しいところもある。あまりに長い作品はどんなに良作でもこっちが途中で飽きてしまう。残念な不具合。

ということで完結は本当に凄いし、ちらっとネットの評判見て「終わりが良くない」「スッキリしない」とか言われてるけど、それも含めて良作と評価。全部が丸く収まるような平和を求めている物語ではないと思う。原作でも似たようなセリフがあったけど、醜くてもいびつでもそれでも進んでいく(進まざるを得ない)人生を表現しているのではないかな。多少の色眼鏡は自覚してるけどしょうがない、結局好きだからね。

物語は主人公である累ちゃんや、その周囲の人間の外見の美醜を中心に進んでいくけど、美醜はコンプレックスの象徴であって、単に「わかりやすい」からの採用なんだと思う。

コンプレックスなんて星の数ほどあるけど、一番わかりやすく正解が提示されているもの(=コンプレックスを際立たせるもの、かつ自分の努力だけではどうにもできないもの、であると尚良し。)が外見ではないかと。

てことで実写映画で美人女優が起用されてる点については個人的には問題なし。理由は累の物語の本質は外見の美醜ではないため。まあまだ映画見てないけど。

閑話休題

ついにというかようやくというか予定調和というか、最終巻にて素顔の累ちゃん表紙に登場。既刊に比べるとやっぱり表情が弱弱しくいろんな意味で素っ裸。守るものがないって顔。大変好ましい。

不思議な口紅の力で美しい顔を手に入れ、その顔でなら誰もが絶賛する最高の演技ができる累。魔法少女のようですね。魔法の力で武器や防具や不思議なパワーを使って世界を平和にするの~みたいな。ただし累が手に入れられるのは美しい顔のみで他は本来累が持っている能力。その役に入り込み見る者もその世界に引きずり込む。天性の才能に加えて努力もしているので、純粋に能力だけだと誰も届かない高みにいるレベル。

しかし累のコンプレックスである醜い顔ではその能力を十分に発揮できない。それは醜くて受けてきた周囲からの評価が累の足を絡めとり引っ張るから。この辺は外見の美醜に関わらず、コンプレックスで周囲から貶められてきた人間の反応だなと思ったり。周りを気にするな、好きに生きていこう!なんて言われるけど、それが出来たら苦労しないっての。しかも何年たっても周りから貶された感覚は消えずに呪縛になり解放されない。いじめ被害者とかは共感できると思う。

そんな状態でも累は美しい顔を手放すことを決意する。完全に回復も解放もされていない状態なのに。可愛い、いじらしい、撫でたい、一緒にドーナツ食べたい。

それを止める者、応援する者、協力する者、あるいは何も知らずに醜い顔を見て背ける者、色んな人が累の周りで動き、累もそれを受けてまた行動する。美しい顔で守られていた時は受けなかった感情や評価に、落ち込みながらもきちんと受け止めようとする累。とても格好良いともスマートとも言えないけれど、これも美しい生き様と呼べるのではないかな。無様で滑稽で不安定、けれど目が離せなくなるのは、どくどくと血の通った人生がそこに表されているから。

単行本のみの特別書下ろしには醜さも含めた累に魅了された人が描かれている。皆が幸せになれるハッピーエンドではないことに安心した。だって途中明らかな犯罪あったし、それでも幸せになれます!って大儀としてはありだろうけど、現実はそれを抱えて含みのない笑顔になれる人って少ないだろうし。犯罪じゃなくたって過去に一つの禍根もない人っていないだろうから、それを抱えながら生きていく人が描写されていて共感とある種の救いにもなるんじゃないかな。

 

書きなぐり感想終わり!

 

最後ネタバレ。

 

 

 

 

千秋楽舞台の最後に宇野さんいたよね絶対あのシルエット宇野さんでしょあと立ち位置(客席後方の手すりのとこ)とか絶対仕事終えて急いで入ってきた宇野さんじゃない?恋に生きない累ちゃんだけど宇野さんの存在は芸でも救いだと思うんだよどうにか接触しないかないいじゃない肉体が老いてたって宇野さんと一緒にいたニナ累リラックスしてて可愛かったんだから

 

 

 

終わり!

これからのこと

30代無職、ニート生活2か月目突入を記念して、ブログ開始。

今後のこと、日々知ったこと、記録用として活用する。

 

とりあえずヤバいことはわかっているが、どう動いたらいいかもわからん。

すぐ結果が見えるものに飛びつく人より、じわじわ続けていく方が成果を形にしてる気がする。

良いと思ったものは見習うことと、下手でも続けていくこと。

若いうちにしておくべきだったろうけど、しょうがないので今からする。

次の目標は明日のブログ投稿だ。

 

これからよろしくお願いいたします。