漫画の感想 累

今実写映画も上映中の漫画「累」について。

14巻最終巻読み終えたので以下感想。ネタバレなしのふんわり風味。

 

 

「累」自体は5巻発売以降ずっと追ってたので完結は嬉しい反面寂しいところもある。あまりに長い作品はどんなに良作でもこっちが途中で飽きてしまう。残念な不具合。

ということで完結は本当に凄いし、ちらっとネットの評判見て「終わりが良くない」「スッキリしない」とか言われてるけど、それも含めて良作と評価。全部が丸く収まるような平和を求めている物語ではないと思う。原作でも似たようなセリフがあったけど、醜くてもいびつでもそれでも進んでいく(進まざるを得ない)人生を表現しているのではないかな。多少の色眼鏡は自覚してるけどしょうがない、結局好きだからね。

物語は主人公である累ちゃんや、その周囲の人間の外見の美醜を中心に進んでいくけど、美醜はコンプレックスの象徴であって、単に「わかりやすい」からの採用なんだと思う。

コンプレックスなんて星の数ほどあるけど、一番わかりやすく正解が提示されているもの(=コンプレックスを際立たせるもの、かつ自分の努力だけではどうにもできないもの、であると尚良し。)が外見ではないかと。

てことで実写映画で美人女優が起用されてる点については個人的には問題なし。理由は累の物語の本質は外見の美醜ではないため。まあまだ映画見てないけど。

閑話休題

ついにというかようやくというか予定調和というか、最終巻にて素顔の累ちゃん表紙に登場。既刊に比べるとやっぱり表情が弱弱しくいろんな意味で素っ裸。守るものがないって顔。大変好ましい。

不思議な口紅の力で美しい顔を手に入れ、その顔でなら誰もが絶賛する最高の演技ができる累。魔法少女のようですね。魔法の力で武器や防具や不思議なパワーを使って世界を平和にするの~みたいな。ただし累が手に入れられるのは美しい顔のみで他は本来累が持っている能力。その役に入り込み見る者もその世界に引きずり込む。天性の才能に加えて努力もしているので、純粋に能力だけだと誰も届かない高みにいるレベル。

しかし累のコンプレックスである醜い顔ではその能力を十分に発揮できない。それは醜くて受けてきた周囲からの評価が累の足を絡めとり引っ張るから。この辺は外見の美醜に関わらず、コンプレックスで周囲から貶められてきた人間の反応だなと思ったり。周りを気にするな、好きに生きていこう!なんて言われるけど、それが出来たら苦労しないっての。しかも何年たっても周りから貶された感覚は消えずに呪縛になり解放されない。いじめ被害者とかは共感できると思う。

そんな状態でも累は美しい顔を手放すことを決意する。完全に回復も解放もされていない状態なのに。可愛い、いじらしい、撫でたい、一緒にドーナツ食べたい。

それを止める者、応援する者、協力する者、あるいは何も知らずに醜い顔を見て背ける者、色んな人が累の周りで動き、累もそれを受けてまた行動する。美しい顔で守られていた時は受けなかった感情や評価に、落ち込みながらもきちんと受け止めようとする累。とても格好良いともスマートとも言えないけれど、これも美しい生き様と呼べるのではないかな。無様で滑稽で不安定、けれど目が離せなくなるのは、どくどくと血の通った人生がそこに表されているから。

単行本のみの特別書下ろしには醜さも含めた累に魅了された人が描かれている。皆が幸せになれるハッピーエンドではないことに安心した。だって途中明らかな犯罪あったし、それでも幸せになれます!って大儀としてはありだろうけど、現実はそれを抱えて含みのない笑顔になれる人って少ないだろうし。犯罪じゃなくたって過去に一つの禍根もない人っていないだろうから、それを抱えながら生きていく人が描写されていて共感とある種の救いにもなるんじゃないかな。

 

書きなぐり感想終わり!

 

最後ネタバレ。

 

 

 

 

千秋楽舞台の最後に宇野さんいたよね絶対あのシルエット宇野さんでしょあと立ち位置(客席後方の手すりのとこ)とか絶対仕事終えて急いで入ってきた宇野さんじゃない?恋に生きない累ちゃんだけど宇野さんの存在は芸でも救いだと思うんだよどうにか接触しないかないいじゃない肉体が老いてたって宇野さんと一緒にいたニナ累リラックスしてて可愛かったんだから

 

 

 

終わり!